カゼハレこども応援クラブ 代表者の頭のなか

小学校の先生を2年間勤めた後、青森でIT企業に勤めながら、スポーツ教室と家庭教師をやっています。

〈神回〉学校の先生を辞めた自分に話してくれた父の本音

ども!kazeです。

現在24歳で、青森で小学校の先生として2年間働きました!!

 

人生100年時代」と言われている世の中で

私は、教員をやめて

学校の外から一人一人の子供や保護者の方を応援することに決めました!!

 

このブログでは、

・人生を最高に過ごすために役に立つ情報

子育てを楽しく、ラクにするためのテクニックや考え方 をお伝えします!!

 

改めて

このブログに出会ってくださりありがとうございます!

 

「辛い日常」「楽しくない毎日」「辛い仕事で過ごす日々」を過ごすのではなく

「最高に楽しく充実した日々」を過ごすことを目指しましょう!!

 

これからの人生を謳歌できるように

一緒に悩み、学び、助けあいましょう!!

 

■昨晩の出来事

僕は、毎晩父親と晩酌することが日課になっています。

 

↓以前、父とのケンカから学んだことの記事 

kazesn.hatenablog.com

 昨日(7/14)、いつものように晩酌をし、後片付けを始めたあたりで

「実は職場にさ、、、、、こんな人がいて・・・」と父の職場の話になりました。

 

その後、片付け(食器洗い)をしながら、話を聞いていると

「そういえばなんで学校の先生辞めたんだっけ?」と僕の話に方向転換してきました。

 

僕は、聞かれたことについて、自分の考えや事実を話ししましたが、やり取りを通して、ところどころに父の本音が垣間見れる場面がことがありました。

 

今回は、それを振り返りながら学んだことを記していきたいと思います。

 

■父の本音

(心に残ってるエピソードを端的に書いてみたいと思います)

 

○仕事を辞めるのはもったいない

 

僕が大学4年生の頃(約3年前)

青森県の小学校の先生になる試験に大学生で現役合格するのは難しいと大学の先生や先輩たち、現役で活躍されている青森の先生たちから方々に言われました。

 

(僕がいた大学でも毎年3〜5人くらい受けていましたが、僕が大学在学中の先輩で青森県の小学校の試験に合格した人はいませんでした。)

 

なんとしてでも一発で合格したいという強い思いから、大学4年生の頃、青森の東京アカデミー(就職予備校)に通うことを決め、大学4年の頃は毎週「北海道」⇄「青森」を往復して先生に受かるために必死に勉強しました。

(当時、北海道の大学に通っていて、毎週授業があったため帰らなければならなった)

 

↑「学校の先生になるまでの苦悩」については、今度詳しく書きたいと思います。

 

たくさんの努力を積み重ねてきた僕を1番近くで見ていた父は、小学校の先生の試験に「合格」した通知を知らせると泣きながら喜んでくれました。

 

やっとの思いで勝ち取った「教員」の肩書きを2年で捨ててしまうことが父親の中では納得がなかなかできなかったよう

「もったいなくない??」と結構強めに行ってました。

(「人事発表」で新聞に自分の名前が紹介されるまで嘘だと思ってたみたいです)

 

加えて

「学校の先生をやりながらじゃやりたいことができなかったのか??」とも

言われました。

↑きっと「学校の先生」としてい続けてほしかったのだと思います。

 

○ウラやましい

会話の途中で急に

「お前うらやましいなぁ〜〜〜」と父親が言いました。

 

これを聞いた時、僕は、

「え、、、、、、、なんで????」と即座に聞き返しました。

 

それは、

俳優」や「芸人」などのように、成功するかどうかがわからない世界で働くよりも「教員」や「県職員」などの安定した職業(公務員等)で働き続くけるように薦めていためです。

 

なので、仕事をやめた僕に対して、

「お前は学校の先生という安定を捨てた人生!!不安定でダメだ!!!」などといった僕のことを否定するようなことを言われると思っていました。

(「うらやましいな」は衝撃的でした。)

 

話を聞いてみると

「俺の仕事は正直つまらない」

「だから心から楽しめそうな仕事をしようとしているお前がうらやましい」とのことでした。

 

■自分の気持ち

僕は今回の父との会話を通じて

「僕は父親の価値観や考え方の基で育ったんだなぁ」と実感できたことです。

 

「せっかく努力して手に入れたもの(教員の座)を手放すのはもったいない」

「安定を捨ててまでやりたいことってなんなのか」

 

↑自分も「仕事を辞める」と思った時に湧き上がった感情でした。

父親が改めて自分にこの言葉を言ってくれて、自分は父の元で育った人なのだなぁと感慨深く思いました。

自分が以前思い浮かんだ感情だからこそ、父親がかけてくれた言葉に込められた心配してくれている気持ちもすごくよくわかります

 

ただ

「これから人生100年時代になり、ライフプランを考え直さなければならない」

「テクノロジーの発達により「今の当たり前」がどんどんアップデートされる」

「働き方もどんどん変わる、またすでに少しずつ変わってきている」  などに

気づいてしまったんです。

 

ここに気づいてしまった僕は、呑気に小学生に勉強を教える場合ではダメだと思ってしまいました。

 

自分でいろいろな働き方や生き方を実践して、それを子供たちに見せ続けることが僕にできる教育だと思ったんです。

(もちろん、これがダメなら学校に戻りますっw)

 

「学校の先生として働き続けること」より「学校の外に出て色々な世界を知り自分の価値観や考え方の幅を広げて、常に更新し続ける過程で子供達と関わっていきたい」というのが僕の心の素直な感情だったんです。

 

だから学校の先生を辞めたことは後悔していないですし、

子供たちの将来を思って辞めることができたんだなぁと改めて実感できました。

↑かなり自分勝手だと思っていますが・・・・

 

今の自分を作ってくれたのは

父が一生懸命働き家族の生活を支えてくれたこと、

母が家事全般に手を抜くことなく手をかけて僕を育てててくれたこと

そして何不自由なく生活させてくれたおかげだと改めて実感できました。

 

また、そんな家族と腹を割って本音を言い合えたのは良かったと思います。

 

もしかしたら父や母からしたら

「仕事を辞めるだなんて考えられない、もっと冷静になれよ・・・」

「早く結婚して子供の顔が見たい」 思っていることはたくさんあるかもしれません。

 

でも言いたいことを言わずに我慢して自分を見守ってくれています。

 

自分は自分の気持ちを信じてこれからも少しずつ前に進み続けたいと思います。

今年一年、ニートだけど教員をしていた時よりも充実した良き1年にしてみせます!!

 

そして父や母にここまで育ててくれた恩返しができればいいなって思います!!!

(手がかかるわがままな息子でごめんなさい、これからもよろしくお願いします!)

↑直接伝えるのは恥ずかしいのでブログで

 

こんな感じで毎日の自分の学びを発信しています。

自分の力は微力だがたくさん集まると大きなパワーになります!!

 

だからみんなで、悩み、学び、助け合いましょう!!

 

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