カゼハレこども応援クラブ 代表者の頭のなか

小学校の先生を2年間勤めた後、青森でIT企業に勤めながら、スポーツ教室と家庭教師をやっています。

学生さんへこれが過去の自分 高校時代を振り返ってみる

ども!kazeです。

現在24歳で、青森で小学校の先生として2年間働きました!!

 

「人生100年時代」と言われている世の中で

私は、教員をやめて

学校の外から一人一人の子供や保護者の方を応援することに決めました!!

 

このブログでは、

・人生を最高に過ごすために役に立つ情報

子育てを楽しく、ラクにするためのテクニックや考え方 をお伝えします!!

 

改めて

このブログに出会ってくださりありがとうございます!

 

「辛い日常」「楽しくない毎日」「辛い仕事で過ごす日々」を過ごすのではなく

「最高に楽しく充実した日々」を過ごすことを目指しましょう!!

 

これからの人生を謳歌できるように

一緒に悩み、学び、助けあいましょう!!

 

■部活を決めるきっかけ

最近、学生さん(高校生や大学生の方)とお話しすることが多く、

自分自身の高校時代のことを振り返ってみたくなったので書き起こしていきたいと思います。

 

約10年前私は高校受験に成功し、志望していた高校高校に入学することができました。

↑歳を取ったなぁ〜〜と振り返りながら今、記事を書いてますw

 

入学した手の頃の私は、

「部活に入るか否か」を迷っていました。

 

私は小・中学生の6年間、(軟式)野球部に所属していて、

部活に入るなら(硬式)野球部だろうなぁとイメージしていました。

 

私にとって

高校野球を始めるということ」は、

「3年間自分のありとあらゆる時間を野球のために捧げること」と考えてました。

 

高校野球では、勝ち進めば甲子園という大きな舞台が用意されており、かなり競争が厳しい勝負の世界であることは15歳の私でもわかっていました。

 

結果、硬式野球部に所属することになるのですが、

その1番の要因は違う高校で頑張る中学校の同級生の存在でした。

 

中学を卒業する際にかけられた

「高校では、ライバルとしてお互いに頑張ろう」の一言に胸を掴まれたんです。

↑どこかの熱血少年野球漫画みたいですねw

 

高校で部活に入るか悩んでいる時、

親に相談に乗ってもらったり、同じ高校の野球部の友人に誘われましたが、

やっぱり1番響いたのは中学の同級生の言葉でした。

 

私は野球部に所属することを決めました!!

 

■今だから公表できること

入学した手の私はすっごくワクワクしながら野球をしていました!!

自分よりレベルが高い先輩たちと一緒に野球ができることが楽しかったのです。

 

自分で言うのもおこがましいですが

日に日に技術が向上し、レベルアップしている実感がありました!!

 

しかし、一年生の途中(6月くらい)椎間板ヘルニアになってしまいそこから1年間くらいは、選手として全く機能しませんでした。

 

椎間板ヘルニアは、腰痛が起こるだけではなく、僕の場合は、片足に力が入りませんでした

(腰の骨がずれ、足に伝達を送っている神経に触れることで足に力が入らない)

 

1年後、お医者さんが言うには90%回復はしたのですが、

「どこか足をかばいながらやっている」

「ケガが再発するのが怖くってプレーするのが怖い」 などが頭の片隅にあり、

 

1年生の頃のように全力で楽しくハツラなツプレーができませんでした。

また、

野球って感覚のスポーツ的なところがあるのですが、

今まで(一年前まで)の感覚では全然うまくプレーできずに苦しみました

無意識に怪我をかばいながらプレーをしていたのだとおもいます・・・・

 

 

「自分の思うようにプレーできない」

「周りのみんながどんどんうまくなっているのがはっきりわかる」

「上手になっている実感がなく楽しくない」     などの感情が生まれ

正直、野球をやめようかと思いました。

 

けど、辞めずに3年生の引退まで続けました。

それは、「途中で辞めた」と周り(親、友達など)から見られたくなかったからだったと思います。

↑周りの顔色をうかがいながら生活する意地っ張り・・・

 

また、したいこともなく辞めてからの生活がイメージできなかったからという理由もあります。

 

正直、めちゃくちゃ当時のメンバーには申し訳ないですが早く引退したかったです。

自分で野球をやっても前みたいにめちゃめちゃには楽しめなくっって

少し無理したらすぐに腰が痛くなるし、正直活躍できる自信がありませんでした。

 

こんなこと言ったら自分勝手やつだって思われるかもしれないのですが、

スポーツ選手はストイックで自分に厳しくないと活躍なんかできるわけありません。

自分は十分なプレーができなくって自然と野球が嫌いになってました。

 

■新たな野球との関わり方

自分が満足できるプレーができないとわかった私は、とにかくいろんな人と話しました。

「先輩や後輩」「レギュラーやレギュラーじゃない」「選手やマネージャー」などの

肩書きは気にしませんでした。

 

すると、、

「野球はうまくないけどkazeは頼れるぞ」ってポジションを手に入れたんです。

 

「悩んだときはkazeさんに相談だ」

「とりあえず飯に誘うならkazeだ」

「野球以外の話をするならkazeだ」  のような感じです。

↑今でも同級生や後輩と連絡を取り合えているのは、この時期の経験があるからだと思います。

 

この経験が小学校の先生となるきっかけになり、

今いろんな人とたくさんの話をしたいと思うきっかけになったと思っています!

 

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自分が野球部の時にお世話になった恩師からもらった言葉

↓いろいろな人と話したい僕と話せます(残りわずか)

https://thebase.in/to_app?s=shop&shop_id=kazesyu&follow=true

 

こんな感じで毎日の自分の学びを発信しています。

自分の力は微力だがたくさん集まると大きなパワーになります!!

 

だからみんなで、悩み、学び、助け合いましょう!!

 

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